Old Diaries

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1998年(大学院生M2)

 ◆ 6/15  花を咲かそう
 ◆ 7/ 7  七月の断想
 ◆ 7/13  「責任」 − resposibility
 ◆ 8/ 1
 ◆ 8/31
 ◆ 9/29
 ◆ 10/ 8
 ◆ 10/30
 ◆ 11/12
 ◆ 11/18  問題をひきうける、ということ
 ◆ 11/27  「汚れたコトバ」
 ◆ 11/28


1998/6/15 花を咲かそう


あなたは花をさかすことばかり
考えているのですか
その手とその足と
その葉とその根と
その全てが
あの一瞬の
永遠の
そのときのために
準備をしている
そんな

美しいというコトバは
まるで死に急ぐように
もう死んだかのように
響くのは
僕がダメな人間だからかもしれない

だからといって
血は流れているのです

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1998/7/7 七月の断想

 このところかなり depressing な出来事が続く。直接的に(肉体的に)実害のあることはほとんどないと言ってよいのだけれど、これだけ続くとオレとしても身が持たなくなってくる。こうしたことはひとことで言えば 「反動」 になるのだろうか。オレ自身が鈍感になり、現実追認をすることができるのならば、ここしばらくの出来事は皆、本当にささいな事に過ぎない。大したことはない。いらんことを考えているが故に受ける精神的ダメージ。人々を支えるドグマ、そしてある種の永遠性がただひたすらオレを苦しめる。だからといってオレの中に永遠性、タナトスの志向性がないというつもりはない。ただ無自覚であること、無意識であること、死への抑圧(死の衝動の抑圧)であること、それがあまりに悲しいのだ。人はあまりに弱い。必死で知恵をしぼりだしあって、何とか関係をつくりながら生きていくしか方法はないのに、何故皆あれほどまでに恐れ、壁をつくり、その中に逃げ込むのか?ファシズム、「右翼思想」 は消えることがないのか。
 孤立を恐れる必要はない。オレはいつも孤立している。もっとも実際には完全に孤立することなどありえないけれど。あえてもっと孤立したほうがよいだろうか?T と手を切り、自らの体系化の道を進むことはできる。だけど正直言ってそれもナンセンスだし、俺は実際に続けることができないだろう。どうするべきだろうか?政治的に考えるべきだろうか?それとも 「真理」 の導く方向へ行くべきだろうか?後者は結局右翼か?それもよし。オレにはもはや束縛はないのだから。しなくてはいけないことは何もない。したい事をする。ファッション的に面白いだろうか?日々机に向かい、論文を書き、正しき学徒への道を行く。きっとはやりはしないけれど。オレにはできるだろうか?「光のエントロピー」 と 「環境問題」、 「元気であること」 の追求。そして彼女と幾人かの友人達との交流。ダメっぽい気がする。オレはきっともっとエロス的。あちこちをさまよい、手を伸ばし、さわり、壊す。仕方がないのか?京都は、京大はオレにはもう狭い。世界に出よう。大して変わらないだろうけど、「同志」 は増えるかもしれない。ゆっくりと。


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1998/7/13 「責任」 − resposibility


責任とは何か?
政治を変えるために一票を!と言うとき
政治家が責任を取って辞職するとき
一体何が起こっているのか
オレには分からない

民主主義とは責任回避装置?
資本主義とパラレル。
自らの身体と思考とにさえ
責任など負うことができないのに
何故ヒトは責任を負う?
投げ捨てるように。
とにかく世界が先に進むように、
そんなおもいか?

自らに責任を負うということは
かくも重く、さりとてそれ以外に
どういきられるというのか!

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1998/8/1


 「生きること」を考えるのは、こんな冷房のきいた部屋ですることではないのかもしれない。夏の朝、セミの声を聞きながら、ジリジリと熱くなっていく空気を吸い込みながら、あの登山のときに迎える朝のような、あのキャンプの気だるいけど刺すような朝みたいな、確実に生きて、生まれ変わっている感覚のなかでゆっくり考えるべきものなのかもしれない。世界はあまりに広く、あまりに忙しく、ふと気づくと僕を飲みこんでしまっている。いやむしろ、本当はいつも飲み込まれているはずなのに、妙な疎外感を味わわされる。何だろう?人は日々生まれてくる。文字通り。生まれてくる。
 世界を構築する必要はない。世界はそこにある。世界に対抗し、闘い、生命を削りながら創り出していく物語は、しょせん物語でしかない。世界をいかに巧妙にシュミレーションしたところで、それはあくまで模造品でしかないのに。人の意識の悲しさ。自らの作品に支配される、そんなことに心地よさを覚えるなんて。

 刻め。整理せよ。進め。勝て。目指せ。繰り返される戯言に、足をとられ、飲み込まれていく。意識が過度に強調するものごとは、自らの無意識に対する防衛のための構築物である、というテーゼは、あまりに当たり前な話だ。僕は刻もう、整理しよう、勝とうとしている。無意識的に。だからこそ、一見意識的な動きであるそうした衝動を、対象化し、観察してやらなきゃいけない。あぁ、でもこうして書いていること自体がそいつのワナ。無限の入れ子構造。永遠のループ。

 幸せって何だっけ?うまいもの食ってるとき?朝のすがすがしい気持?セックス?それとも上手に世界を構築できたとき?世界と一つになる。

 世の中には偉い人がいる。力づくで世界をつくり出せる人がいる。なんとなく分かっちゃう人もいる。僕は負ける。負けることで刺激されて頑張ろうとする自分がいる。そいつを鼻で笑う自分がいる。どっちでもいいよという自分がいる。ふらふらしてる。勝ちはない、と分かっている自分がいて、勝とうとする自分がいる。何処へ行く?一体全体。


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1998/8/31


 時間を喪失しているような気がする。ふと気付くと、過去も未来もオレを縛ってはいない。「やらなきゃいけないこと」 はある。とりあえず。それはオレを強迫し、追いつめる。だからといって本当の意味では縛られてはいないような気がする。今金を持っているから?そうかもしれない。余裕があるときにはそんな言葉が出るものさ。完全なる自由。
 ともあれ面白い感覚だ。過去はある。だけどそれは強迫的ではない。そこから逃げる必要はない。それはオレそのもの。多くの人がオレに関わり、それなりの関係をつくり、そして去っていく。去っていったところでそれは同じだ。今すぐにでも連絡できる奴もいれば、あの世に行ってしまった奴もいる。ほんの少しの関わりしか持たなかった奴もいるし、ベタベタとつきあい続けた奴もいる。家族がいる。彼女がいる。友人がいる。同僚がいる。先輩が、後輩が、先生がいる。通りすがりの人がいる。会ったことさえない人がいる。
 いいんだ。これで。受身といわれようが、オレはたまたまオレの関係の鎖の中に入ってくる、そんな人たちと共に生きている。誰かに何かしてあげなきゃいけないことはない。アメリカの Gambles に手紙を書くか?槌田敦に連絡を入れておくか?昔やり残した事を今からでもするべきか?いいさ。おもむくままに生きて、動いていけば。今の関係においてさえも、「しなくちゃいけない」 なんてことはないんだ。矛盾?ウソ?抑圧?分かりはしない。確かにオレは政治的だ。だからといってそれはしょせん 「意識」 の話。そんなものを全部ひきずりながら、軽やかに生きる。オレの見る世界、オレの感じる世界、それはオレ。
 未来。それは多分やってくる。こうしているこの瞬間にさえも。待っていてもいい。目指すことはない。なにも。あるのは政治的な道具としての未来。それはきっと、オレに何かの恵みを与えてくれるだろう。でもそれは結果。まぁよし。時間など。超えてしまったものなど。
 オレは 「客観的」 にはここ1〜2年ですごく成長した。強くなった。政治力を獲得した。コトバを獲得した。世の中的にどうかなど関係ない。やつらは遅れてる。あまりに遅れている。「客観」 など語る資格も持たない。オレは語る。ゴーマンに。自信たっぷりに。オレは行き過ぎてしまった、と言いながら。
 だからと言って「主観的」には何も変わっていない。オレは昔からオレでしかない。進歩もクソもない。戻ってくるのはいつも不条理な風土。そこには、何もない。あるいは全てがあるのかもしれない。生きているオレがいる。ただそれだけ。それ以上のことは何の意味も持たない。
 矛盾なんだ。結局のところ。どっちに行っても仕方のないこと。矛盾のはざまを泳ぐだけ。オレは 「どっちか」 に行くことはできないんだ。神は、そこにいる。全てが不条理でありながら、我が身を生きる。自信と共に。
 オレの書くコトバは 「甘い」 か?恵まれたものの、余裕のあるもののコトバか?どうでもいい。そんなことはしょせん政治的なレベルの話さ。


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1998/9/29

 妄想に引きずりまわされる日々。何もしてない。だらだらと新聞を読み、ぶつぶつと独り言を言い、教科書を開いては嫌になって寝転がり、煙草をふかし、狂いそうな気がすると人に電話をし、A地下でビールを飲みながら人の話を聞いても心の空白は埋められることなく、研究室でゲームをし、ある種義務感に近い感覚でYちゃんに会い、オレは石化していきそうな自分に気づく。止まっていくことに恐怖を覚えながら、それは無意識的な心の動きの中で着々と進行する。甘美な、ゆるやかな死。静かな発狂。
 退行している。現実から逃げている。意識はそれを止めようとはするが、失敗する。成功が必要なのかもしれない。何かを成し遂げる、そんなことが必要なのかもしれない。そんな動きを 「反動」 と呼ぶオレがいて、それを食い止めようとするのだけれど。モノをつくる、権力化をすることへの自分の衝動も抹殺することはできない。危ういバランス。綱渡り。道は細く険しい。


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1998/10/8

散っていった金木犀の花。
オレンジ色の目を刺すような。
お前達の発した香、オレはそれを糧に生きよう。
生きていくのは、こんなにも痛いことなのだけれども、
日は昇り、また落ちて、
季節はめぐりめぐる。
オレは闘わない。
オレは、ここに立つのみ。
風に吹かれ、雨に打たれながら、
ただここに立っていればいい。
ひたすら大地に根を張ればいい。
それ以外、一体オレに何ができるというのか。
やがてオレは切り倒されるかもしれない。
だからといって何だ!それでいいんだ。
オレはそれでも永久にここに立ち続けるだろう。
確信など、安定など、「自分」 など、
どうだっていいんだ、そんなことは。
オレはただ、ここに立ち尽くしていればいい。


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1998/10/30

魔法が切れてしまうとき、君は何を想う?
壮麗な建造物も、ふかふかのクッションも、
何もかもが崩れ落ちる砂と化すとき、
君の心に残るものは一体なんだろうか?
あるいはそもそも、残るものなどあるのだろうか?
君はそのガレキの中でたち続けることが果たしてできるのであろうか?

古より、魔法はその効力を保ち続ける。
子供だましな、と笑いを催す君は、
何処の国から来たのだろうか?
宙に浮かんだつもりでいる君は、すでにその虜。

飽和した、退屈な、静かな世界の中で、
砂漠の冒険を夢想するがいい。
だがそこは昼は熱く、夜は凍える厳しい世界。
魂をしっかり抱きしめて、
そうでなければ本当に旅立つことは、できやしない。


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1998/11/12

 考えることはどこまでも断片的で、どこまでも散文的で、どこかに収束することなどありえないように思える。しかし 「仕事」 が、関係が、社会がオレに強制してくる以上、書かない訳にもいかないじゃないか。自分がどこへ行くか知らない。どこへ行くか、決めようともしない。それでいい。それでいいはずなのに・・・。目的を、ヴィジョンを提示せよ。そう迫ってくる 「何か」 がある。それは自分でつくり出したマボロシかもしれないけれど。だって、よく見てみれば、誰も何も俺に要求など、強制などしていやしない。認めてもらいたい、という願望はまだ消えていない。誰に?世界に?全ての人に?ナンセンス。無意味な希望。
 ある日世界はまったくもって平坦に見えてくる。だけどまたある日、世界はとんでもなく複雑な様相を呈して、しかも自分に襲い掛かってくる。そんな状況を行ったり来たりしながら、人は壊れていく。老いていく。腐っていく。そして正常になっていく。どうとでもなれ。どうとでもなる。
 美しい、壮大な建物を作ろうとする自分と、ただただ平たく冷たい世界に安住しようとする自分と。

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1998/11/18 問題をひきうける、ということ

 日常生活の中で、人はどうしても問題を回避する方向に向かう。事なかれ主義。守り。反動。それは極めて自然なこと。問題は基本的に答えを持たないのだから。禅問答というやつだな。そんなところにはまり込むのは、わざわざ自分を厳しい状況に追い込んでるようなもの。マゾヒスティックな傾向がなけりゃ、そんなことはしない。しかし、時として人は問題にぶち当たるものだ。それは当然だ。実は問題の種はそこら中にあるのだから。そのときどうするか、それがここで突きつけられてる問題。オレは、基本的にマゾヒスティック。問題を求めている。頭を悩ますことをわざわざ求めている。何故?それがオレに与えられた生なのか?生きるということは問題と向き合うことに他ならない。だってそもそも生きているということ自体大きな問題じゃないか。オレは問題をひきうける人を愛す。じゃあ問題を回避し、あるいは無理矢理解を見つけ出してる人にどう対処するか?優しく見守るのか?それすなわち放っておく、ということ。それをするのは結構大変だ。何故なら、それはつまんないから。さびしいから。
 「問題」 を起こしたがる人間がいる。オレもそうだ。わざわざ嫌がられることをする。醜悪。オレは一方で自分が問題を起こすことを求めながら、一方で人から問題を突きつけられるのに不快感を感じる。さりとて自分の中の野獣と、周りの世界が共存しているかぎり、問題は起こり続けるし、起こし続ける。黙々と対処すればいい。頭をまわしつづければいい。それは原罪なのだから。矛盾した衝動を抱えて生きる人間という存在であるかぎり、目を開き、引き受けていかなくてはならないのだ。回避したところでいずれは襲ってくる。そのときになって考えればいい、と言ってもいいのだけれど、見えてしまうものは仕方ないじゃあないか。引き受けるべき、とかそういう問題じゃあないのだ。倫理の問題ではない。無意識的に盲目になり、あるいは痴呆になれるものならば、それはそれで素晴らしい。だけど意識は!! オレは他人に嫌がらせをしてしまう。問題を突きつけてしまう。目を開かせようとしてしまう。意識の悲しきあがき。それでもそれは唯一の連帯のカギ。毒づくがいい。さらすがいい。
 問題をひきうける、ということは、それに解答を与えることでは必ずしもない。それは問題を見出すということ。そして何とか解決してやろうと考えること。結果は、どうでもいいのだ。きっと。問題はそのうち共有される。生きてる状況が重なる限り。同じ時代に生きてる限り。人間である限り、きっと。信じよう。待とう。落ち着こう。ゆっくりいこう。

 しし座流星群。星を見るのは久々。というかこんな風に真面目に星座まで追っかけまわすのは初めてだろう。たまにはいいものだ。人はイベント大好き。そしてそれを共有することで何とか生きているんだ。問題ばかり追いかけて、周りの世界に、星に、人に、ゆとりをもって向かい合う時間もないのは情けない。もったいない。別にそれもそれでいいんだけど。たまには空っぽになるのもいい。観念としての空っぽ、絶望じゃなく、暖かい、落ち着いた空っぽ。まあ実はその二つの空っぽも根っこは一緒という気はするけれど。馬鹿になろう。楽になろう。そうすればきっとうまくいく。全てが。それでいい。

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1998/11/27 「汚れたコトバ」

僕はおぼれています。コトバの海に。
モーツァルトのように音楽で表現することができたなら!
なんでもいい、絵でも、踊りでも、
コトバ以外の自己表出の手段を磨いてきていたなら!
僕にはコトバしかない。とりあえず。
最も貶められた、最も忘れ去られた、
かわいそうな道具。
こんなに可能性を秘めているというのに。
僕はコトバを裸にし、愛撫を繰り返す。
そうするうちに汚れなんかどうだって良くなる。
音楽や、絵や、ファッションのように華はないけれど、
なんといったって産まれてこのかた共に生きてきたのだから。
僕は妊娠しているんだ。
きっと僕に似て過熟児で生まれてくるのだろうな。
まぁそうはいっても赤子は赤子。
汚されて汚されて育って行くんだ、きっと。
そうしていつか一人立ちしてくれるといい。
僕は多分、このままおぼれ続けるのでしょう。


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1998/11/28

僕は、ニセモノをつくるわけにはいかないんです。
言葉を加工して言葉にするのは簡単なのだけど、
いや、昔は簡単だったはずなのだけど、
今の僕にはそれが不可能なことなのです。
結果としてそれが全く同じように見えるとしても。
無駄なことをしてる、なんて言わないで!
それを言ってしまったら全てが崩れ去るのです。
そんなことは分かってるじゃあないですか。
僕は確かに無意味の中に意味を探している。
あきらめる訳にはいかないのです。
生きるか死ぬか、そんな問題なのですから。
大げさなことを言ってる、頭を冷やせ、
現実を見詰めて現実的に対応していけ、
そんなことは何万回となく僕の頭の中で
繰り返されているのです。
だけれどもその度に僕はとんでもない所へ飛んで行ってしまう。
ますます熱くなっていく。
せめて今はこう言わせて下さい、
これが生きてるということだ、僕は死んだように生きていたくはない!!


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