Old Diaries

はじめに

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2003年 (帰国・退社・引き篭り・旅行・京都へ)

 ◆ 1/13
 ◆ 1/17  現在・過去・未来
 ◆ 1/20
 ◆ 2/10  奈良にて
 ◆ 2/13  大町線車中にて
 ◆ 2/19
 ◆ 2/25
 ◆ 3/14  燕京号甲板にて
 ◆ 3/15  世界把握の試み
 ◆ 3/18  天津科技大外国人寮にて
 ◆ 3/24  燕京号にて
 ◆ 5/15  ブリュッセルにて
 ◆ 5/30  À Paris
 ◆ 6/ 8  Schumacher Collegeにて
 ◆ 6/13  London, St.Pancras YHにて
 ◆ 7/ 2  先物詐欺
 ◆ 8/ 2
 ◆ 8/ 7  下鴨H邸にて
 ◆ 8/28


2003/1/13


 ずいぶんと整理がついてきた。朝、鍋を届けることから始めて、諸連絡、荷物の発送、エレベーターの鍵を取りに行くなど、4時頃にはあらかた片は付いた。こうやって着々と仕事をこなすのは悪くない。途中マネージメント会社に苛ついたりもしたが、ひとしきり終わると脱力、そして無力感。
 散歩に出た。おそらくこちらに来てからもっとも心軽く。何も集中して考えずに。ただふらふらと夕方の川べりを歩いた。こんな風に冷静になれたのはいつ以来だろう?心の中に積もりに積もっていたものが、どさっと捨てられた。風のように。そう、心軽く、何事にもつかまらず。こういう状態であり続けるべきなんだ。帰って来て何とはなしに中島みゆきの 「地上の星」 の歌詞を見たくなった。メロディを口ずさみながらボロボロ泣いた。止まることなく流れる涙で心を洗う。
 見守られることもなく、見送られることもなく、オレは地上の星足り得ぬか?空ばかりを見て、氷ばかり掴む人。愚かな。そうして人は埋もれ消えていく。歴史上いつだってきっと。そしてとくに現代。地上の星。どこにあるのだろう?

風の中の昴、砂の中の銀河
皆何処へ行った?見送られることもなく
草原のペガサス、街角のビーナス
皆何処へ行った?見守られることもなく
地上にある星を誰も覚えていない
人は空ばかり見てる
燕よ、高い空から教えてよ地上の星を
燕よ、地上の星は今何処にあるのだろう


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2003/1/17 現在・過去・未来


JAL機内にて

抱えきれないほどの過去の出来事を深い海の底から浮かび上がらせ、
観念に囚われ、現実を見失った自分の位置を探る。
テクスチャを失った色褪めた世界、すなわちタナトスに
半分喰われた感覚器官を少しばかり回復させる。
生の感覚、カラフルな、ダイナミックな。
リアルな現在は、リアルな過去とリアルな未来に支えられる。
そう、過去を通じて現在を見、未来を見る。
未来に応じた過去を見る。
豊かな世界を自ら体験してきた、そうして今まさに手元にある、
分離不能に見える世界を記号化せよ。
世界はわが力の元に在れり。
不安を切り裂いて進んでいくために、過去・現在・未来を丁寧に旅せよ。

流浪か、家畜化か、それとも?
逃げ回ったところで、あるいは超越を求めたところで、人生に答などない。
飼いならされ、マヒし、喰らうことだけを考えながら日々を生きるか?
これまた手垢に塗れた、ちょっぴりの刺激を求めたりしながら。
小心に。
屠殺場行きのトラックに大量に乗り込まされて。
そう、それもいい。そんなものかもしれぬ。
孤独に、不安に、社会の隙間をすり抜けながら、
ちっぽけで重い自由を背負う。
Like A Rolling Stone. 転がっていく?
掴まらないで!

ちっぽけな小舟。並べて進むべき相手は?
それともやはり大きな船の幻想が必要?
愛は何処に?探せ、漕いでいけ。
エロースを磨け。それが生の明かりを灯す。
生は Exciting なほうが良いか?
Risk は怖いか?後ろ指差されることが?


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2003/1/20


 帰国。親と話し、ゆっくり寝て、少しずつモノの整理などする。Oさんとの食事、B社の人々へのお礼&写真メール。そして今日、いよいよ藤沢出社。若干緊張している。冷たく突き放されることはないにしても、澱んだ空気は流れるか?それを切り裂いて元気に突き抜けられるか?そう、オレは前を向いている。文句を言わぬ。生きている。短い時を生きているからこそ、自分に与えられた可能性を生かし切る。何をするかが定まっていないことなど、大して重要なことではない。人生いつだって変化に溢れている。要は自分が元気であるか、チャレンジしているか。そこに人と人との絆も産まれるというもの。旅に出る。世界に触れる。心を開いて。人はいつだって限定されているけれど、自分で自分を限定する事はしちゃいけない。そう自由。生きているということは。

 大丈夫。オレは散々考えてきた。間違っていない。人のことは分からぬ。ただ自らを鋭く磨き、世界を切り拓いていくこと。明るく在れ、心から。そうなるように足掻け。

 B 社でオレはオレのできる限りのことをやった。効率は良くなかったかもしれないけれど、少しずつ確実に何かを創り続けた。そしてきっちり終わらせた。自己を証明した。今はそれにしがみつくまい。もはや。前を見続けること。Chin-up!

目の輝きを失ったところに良きモノは産まれぬ。光を、もっと光を。暗いものに呑まれないで。あきらめない。明るく生きることを。

準備はOK。さあ戦友たちに別れを告げ、我が道を進め。やるべきことはまだたくさんある。
神と共に在れ。


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2003/2/10 奈良にて


(U 邸にて一泊後)

心を開こうとする。ディテールに対して。
草木を見る。流れを見る。空気を感じる。
Be Alart. リラックスしながらも外に開けるように。
ぶらぶらと奈良を散策。目的もなく。
世界はあまりに多様で複雑。
そしてそれぞれのものにそれぞれの歴史がある。
圧倒されるよりも、それを楽しむ方が良い。
小さな頭に詰め込める量には限りがある。
ただ目覚めていること。

。。。

歩き疲れて三条通のコーヒーショップで一息。店内全面禁煙、たまにはそれも良いか。
ここのところ明らかに煙草の吸い過ぎでのどが痛い。MT が仕事を終えるのを待つ。空き時間は三時間程かな。
まぁのんびりと。日暮れ時、通りを急ぐ人々。まぁ奈良も全体としてかなりゆっくりかも。今のオレは空白。

歩く、歩く、歩く。
通り過ぎる人、動物、鳥、草、木…。
心を開いて少しでも世界に食い込もうとする。
一瞬、交わりそしてまた離れる。
別々の世界へ。無関心へ。無意識へ。
そう、世界はかくも遠い。
歩き続けるうちに体はだるくなり思考は鈍る。
小春日和のなかを歩く。
一日の終わりが近づく。眠りたい。
今日は一体何をしたのだろう?
明日は何をしよう、何が起こるのだろう?
ゆるやかに時は流れ続ける。

泰然と在り続けること。いつも、どんな時も。
細かなものに掴まらず、細かなものを疎かにせず。
Committ し続けながら、なおかつ宙に浮く。
波は繰り返される。
そこでゆるやかに揺られながら。
抽象的になりすぎることを戒めよ。
歩く。シャンとして。

具体性を失わないこと。トレーニングが必要。今日したことを記述してみること。一日の風景を。

。。。

 朝。久しぶりに心地よい睡眠だった。暖かくてほっこりと。U に起こしてもらったとき、眠りの続きが惜しくてたまらなかったけれど、ホスト二人が家を出るのに合わせて出かけようと思っていたのでそれに従った。T の研究室〜東横イン〜I 邸と、ちゃんと寝たは寝たけれど、落ち着かぬ部分があったか。U と Yさんはとても安定した、常識的(!?)な生活をしていた。二人の関係も落ち着いた感じで好印象。無理がない。食事も大事にしている。そんな雰囲気に包まれて気を許すことができたように思う。納豆と卵ご飯と味噌汁。納豆にはぶつ切りの白葱を入れて。なかなか美味かった。二人が出かける支度をする間に皿洗い。自然にそれをできるのが良かった。最後に部屋を出て鍵を郵便受けに入れる。
 散策の前に重い荷物を駅のコインロッカーへ。JR 奈良駅は工事中だった。駅ビルなどなく、質素で地味なところ。身軽になってから商店街−比較的新しくこざっぱりしていた−となっている三条通を辿り東大寺を目指す。興福寺の塔を見上げていると、着物姿の若い女性が列を成して通り過ぎていった。しばし眺める。茶の会合か何かなのだろうか?東京弁の人が目立った。何人か綺麗な人がいた。そのままのんびり歩き、休館の国立博物館を横目に、気持よさげに眠る鹿に惹かれてカメラを向ける。
 四月並みの陽気で陽射しは暖かく体を包む。奈良公園に入り、イチゴの菓子を味わい、Volvic を飲んで煙草を吸う。猛烈な眠気に襲われてしばし日向ぼっこをしながらベンチで寝ることにする。隣に先客があって気持よさげに寝ていた。あるいは死んでいるのかと思うほど。十時半からちょうど十二時になるころまで休む。
 目を覚ますとと日は少し翳っていた。腹が減った。東大寺は後回しにして、落ち着いた、奈良らしいものを出す店を探しに出る。明らかに観光客向けという感じの会席料理屋くらいしかみつからず、仕方がないので般若寺に向けて歩くことにする。奈良坂を登って静かな住宅街の只中の寺に着く。「コスモス寺」などと宣伝しているように、境内には花壇が沢山あったが、何せ冬。ほじくり返された土と、ぼうぼうに繁る枯れ雑草がちょっとばかり投げやりな感じを与える。客は誰も無い。一人のんびり廻る。目線を合わせて興味を示してくれた小さな女の子以外、雑談を邪魔されてとりあえず黙り込む寺の人々。太陽光発電式自動鐘衝き機と、長崎・広島を表に出してくる平和運動と、名のある寺の仏像を小さな石造にして30体も並べて一度にお参りできるようにしてあるシステム、何だか雑然とした印象ばかり。まあ面白いが。なんだか脱力した感覚とともに出る。寺の向かいには「牧場」があったが、丁度寺を出た頃には従業員らしき人が十数人ほど集まり、踊りだか何だかパフォーマンスの練習をしていた。女の人の声が響いていた。「これ、こんな風に動かした方がええと思うねん。どうやろ?」みたいな。何だか一生懸命やってたみたいだけど。。。
 歴史の道を辿ることを決めて東大寺に戻ろうと歩き出す。腹も大分減ったし疲労を強く感じ始める。一時半。真新しい奈良市営住宅を抜け、住宅街を歩く。東大寺の屋根は高く聳える。大仏が入ってるんだもんなぁ、と感慨。横目に正倉院を眺めてとぼとぼ歩く。「あぜくらづくり」。漢字はどうやって書くんだっけ?中学生に意味もなく覚えさせるコトバ。それは限られてはいても文化の保存に役立っているのだろうか?とふと思う。若い女の子が二人、道を外れたところにある大きな石に腰掛けて地図を見ていた。変なオヤジが望遠レンズを正倉院から彼女達のほうへ向けた。苦笑。とにかくぐったりしてきて荷物が重くなってくる。早くどこかで休みたかった。東大寺の参道にある土産屋あたりで休もうと決める。大仏殿の横手から一分咲きの梅を白壁を背景に写生している数人の人たち。観光客の溢れ始めた昼下がりの只中、家族でお弁当を広げる人たちを眺めて歩く。
 土産屋に併設された食堂が一軒だけあったので選択の余地無くそこに入る。客は完全に僕一人。日曜と休日の間に挟まれた一日だけの平日。奈良は人が少ない。とんかつとワラビもちを頼んでゆっくり食う。後から数組の客が入ってくる。いつも K と言っていた、客呼びの素質があるという話を思い出す。偶然だと言い切れるか?あるいはいつも人の少ないところに入る傾向があるので、確率的に後から人が入ってくる可能性が高いということか?踏み分けていくこと。道が出来る。
 食堂を出て春日大社を目指す。少しは疲労も取れて気分も幾分軽くなる。若草山の入り口、今は閉鎖期間で中には入れない。確かに見覚えのある風景がそこにあった。今まで何度奈良を訪れたろう、とふと振り返る。いや、むしろ誰と一緒に来たかということが大きいかな。家族で来た気がするのは本当かしら?それはいつ?修学旅行。Tちゃんと横浜のKら。RN。若草山の麓の茶屋レストランには何度か入った記憶がある。
 すれ違ったり、同じ方向に歩いている女の人に意識をとられる。何なのだろうね、まったく。疲労が出てくると生殖に向かう?等ということを考える。生物か…。春日大社を一通り廻る。一芸の神様、弁天さんと意志の神様(?)にお賽銭を投げて祈ってみる。神を信ずる者ゆえの抵抗感を感じながら。
 山を降り、白毫寺は諦めて飛火野へ向かう。途中志賀直哉の旧邸を外から眺める。文化人サロン、広い食堂、客間、庭、整理されて落ち着いた書斎など。好感を受けるものの、現代との遠さを改めて感じる。あるいはルサンチマン?飛火野へ歩いていく途中で、Tちゃん達と車で来た時に通った道であることを理解する。あの頃、オレは一体何を考えていたろう?しばし考える。結局飛火野は横から眺めただけで通り過ぎる。そう、あそこには合唱団で行ったはず。もはや記憶はほとんど消えているのだけれど。風景だけはどこかに微かに焼き付けられていた。
 再度奈良公園の入り口のさっぱりした道を通って街へと降りていく。奈良町を廻ってみる。既に完全にバテていた。それでも8時過ぎまでどこかで時間を潰さなくては、と思う。三条通のスターバックス風の珈琲屋に入り一時休息。文章を少し書き始める。再び街をぐるりと一周して七時になろうとしていたので食事にしようと決める。カレーの食える珈琲屋か、オムライスハウスか迷っていざ店に入ろうかというところで U からTel 。立っていたところのすぐそばのダイエーにいるとのことなので会いに行く。すぐに原チャに乗った U を見つけ、今晩のパーティを断って今回世話になった礼を言う。別れを告げてオムライス屋に入る。デミグラスソースの掛かったコロッケ付きのオムライス、それに時間つぶしのためのカプチーノを頼む。若くて可愛い二人の娘がバイトをしている。少し楽しい気分になる。オムライスを食べ終わり、コーヒーを飲みながら文章の続きを書く。それから MT と金沢のY にそれぞれTel 。今後の予定を Fix させておく。
 時間を見てJR 奈良駅に向かい、ロッカーから荷物を取り出して王寺へ。割と近い。ミスタードーナッツでコーヒーだけ頼んで時間を潰す。半分も飲み終わらないうちにMT登場。相変わらずの短髪。スーツ姿は少しは板についてきたという感じ。すぐにMTの母親が迎えに来てくれた。彼自身は原チャで帰宅。見知らぬ同士の二人でざっと一般的なことを簡単な自己紹介として話す。カナダへ行っていたこと、会社を辞めたことなど。
 家に着くと随分ちゃんとした夕食が用意されていた。刺身、山芋、イカの煮付け、そしてすき焼き。さすがにオムライスで程ほど埋まっていたので、ちょっと腹に詰めすぎたか。ビールを飲み、ざっとこれまでのことなどを二人で話す。サラリーマンとなって健全化したMTには好感。一時期の超越的な志向は影を潜め、心身ともに健康的に戻っている。アル中も抜けたようだし。一人の強いパーソナリティによって支えられた靴下屋での仕事は、良くも悪くも波の多い、人間臭いものなのだろうと推察。11時ごろまでひとしきり話をし、食ってから、熱めの気持のよい風呂を先に頂く。寝る前の体操を始めたMTと心・意・体の健全化の話をする。ふと K の習慣を思い出す。横になってから二時過ぎまで語ってから就寝。


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2003/2/13 大糸線車中にて


昼前に起きて駅まで送ってもらう。カルボナーラとサラダとパンのセット。駅ビルにて。横浜までの乗車券を買い、Y と別れる。糸魚川行きは一時間近い待ち時間。この辺りさすがに電車の本数が少ない。糸魚川では再び一時間半待ち。散歩をする。海が港の内で淡いエメラルドブルーになり、外海の黒さとの対比が美しい。ウサギが跳ねる。背後には白馬の山波が映える。どんよりと暗く重い雲と、その切れ間から零れる光の輝きが印象に残る。日本海。

今、大糸線の車中にある。外はもう暗くなってしまった。ただ深い深い雪のなかを切っていくのが分かる。山をぶち抜くトンネルと。白銀の世界。ここにも人は住む。唖然。美しい。また温泉に入りたくなる。高揚した気分。南小谷で降り、温泉宿の目ぼしいのがあるか探してみたもののあまりパッとせず、信濃大町に期待することにする。途中の平岩駅のそばの姫川温泉が一番良さげだった。通り過ぎてしまったのが惜しい。その姫川は糸魚川まで流れていく。

多くのスノボ客とすれ違う。白馬乗鞍へ向かう人たち。途中で銀行員らしき4人が乗り込んでくる。一人の丸々とした人の良さそうな男と、3人の女。彼らは乗車してから大町までの40〜50分くらいの間、周囲のことなど気にもせず、ずっと生命保険と年金のこと、いかに利率を稼ぐかの方法について大きな声で話し続けていた。どうしようもなく憂鬱になる。席を離れるべきだったか。「普通の」穏やかな人たち。その中に潜む魔を呪う。資本主義の奴隷。恍惚としながら。豚め、死ね、などと頭の中で繰り返す。どんどんと自分が惨めになっていく。ここで絡んだところで、オレはただの気違い。何も分かりやしない!豚には、幸福な豚には。すっかり不快になって大町の駅に立つ。風情ある温泉などありそうにもない。。。やむを得まい、松本まで出て、ビジネスホテルでも探そう。


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2003/2/19


一週間ちょっとの旅から戻って既に五日。南小谷のあの深い深い雪に子供のように興奮し、同時に染入るように鎮められてまだ一週間。例の電車の中の銀行員達の会話に犯されて、世界を呪う様な気分がまだ抜けきれぬ。横浜へ戻ってから平野啓一郎の「葬送」を読み続け、またダラダラとゲーセンで競馬ゲームをやり続けたことにより、生命力が低下している。これを機に少し立て直さねば。瞑想と運動をする、人に会う、「作品」の構想を練り書き始める。新しい生活のリズム。旅行の計画もそろそろきちんとしないと。3月のヨーロッパは寒いだろう。春に延期しようか。まずはとにかく中国へ。詰め込みすぎる必要は無い。時間はある。金も当分は困るまい。正しいこと、分からなくなってる。唯一つだけ、自分をシャンとさせること。誇りと自信を。

ふと外を見る。街路樹。椎木かな。排ガスに汚され、葉は弱々しく縮んでいる。

。。。

(平野啓一郎 「葬送」 について)
大作だった。彼の費やした時間を想像する。松本から戻る中央線の鈍行の中で読み始め、五日で読破。ちょっと時間が勿体無い、などという気もしてきたが、何をか況や、今のオレには時間は沢山あるのだ!とは言えあれだけ丁寧にディテールを書き込みながら、彼の想いをギュウギュウに詰め込んだ文章を真面目に読む人間が日本にどれだけ居るのだろう?芥川賞受賞作家という知名度をもってすれば、文学者、研究者がきちんと読み込んでくれるのかな。オレとしてはどうしても全体として語りかけてくるものの暗さ、死の臭いが気になってしまうが、断片断片に現れてくる描写は時に本当に見事なものがあると驚かされる。でも考えてみると、それは他者との距離、ルサンチマン、自分を形成する過去の重みなどに関するもの、つまり非常にパーソナルでナルシスティックな情念の世界の描写ばかりだ。社会性はほぼ完全に欠落している。共同体や人格神の世界は、彼にとっては遠い憧れであると同時に、唾棄すべきものと映るらしい。総体として浮かび上がってくるもの、それは神に見離され、かつ自己の超越性を求め続けて止まぬ、苦しい魂の叫びばかり。自慰的な陶酔と、その押し付け。明るいものでなく、暗いものによって共感を創出しようとする足掻き。それはかつて、オレが 「あるだけ」 の世界、不条理性を語ることにより突破口を見出そうとしていたメンタリティと重なってくるように思う。もっともその時オレは若く、あれほどのコトバを紡ぎ出すことなど決して出来やしなかったけれど。じゃあ今のオレはそれを越えたなどと言えるのか?年を経るに従って分からぬ事は増えるばかり。ある種の諦めと衰弱に呑まれていないか?オレと平野の比較!あぁ嫌だ、またコンプレックスに従って偏差値的上下比較か?もの書きになれるかどうか自分に問いながら、まだまともなものを僅かも書いていないこと、それがまた自分をルサンチマンの世界へと追い込む。そう、それはまさに彼の描く世界。暗さの支配する世界。まさに題名のごとく死の世界!

燃やし尽くせ。
世界の全てを火にくべて。
消尽した大地から、雨に湿った灰の中から、
また新たな木の芽が顔を出すから。
やがて。
失われるものなど無い。
エネルギーが宇宙をたゆたう。
時の波は寄せては返す。
しがみつけば、それは崩れ去る。
空虚に呑まれることなど、
所詮ひとときの澱みに過ぎぬ。
流れよ。滔滔と。
そこにただ在れ。
風を感じ、身を委ね、
そう、それでも生きよ。
ゆっくりと。
ただ在れ。


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2003/2/25


 品川事務所に退職挨拶に行った。挨拶そのものは30秒程度のものを二度。OさんもNさんも、さらさらこっちの言うことなど聞く気もない。まぁそんなもの。道は違ってしまったけれどお互い頑張りましょう、という O 氏と、一緒に働いてくれてありがとう、という N 氏。無難に。何事も無かったかのように。その後 S さんと T さんと軽く話をしてから、別のフロアのKD、IH としばし話し込む。OYかKTを昼飯に誘おうと思って電話をしたものの連絡取れず。品川駅そばのドトールでカプチーノを飲みながら日記など書く。正午になると人が増えてきたので退散。駅前の広場に腰を下ろし、しばしヒューマンウォッチング。女の子を目で追っている場合が多い。スーツ姿の就職活動中らしい娘が印象に残った。
 高輪口へと移動し、居心地の良さそうな場所を探すが見つからず、そのまま北品川までぶらぶら歩く。コンビニでおにぎりを買い、御殿山に登る。品川女学院の横を抜け、ホテルに付設された公園らしきところに腰を落ち着ける。JR の線路のすぐそばにも関わらず、鬱蒼と繁る緑がいい。陽は心地よい程度だったが、さすがに濃い常緑木々の下ではやや肌寒いくらい。満足して煙草を一本吸ってから丘を下る。途中、学生と教授といった風情の人たちとすれ違う。学会か、何かのゼミか?間の抜け具合が社会性の乏しさを表に現わす。住宅街を抜けて新馬場の駅へ向かう。鈍行で川崎まで行き上大岡に戻る。ふと思い立って駅ビルの京急百貨店でスケッチブックと鉛筆を買う。木のスケッチでもしようかと思って。色鉛筆を買うつもりだったけれど、やや値が張ったのでとりあえず普通の鉛筆だけ。4B。少し上達してデッサン力がつけば水彩色鉛筆を買おう。昔 T ちゃんがそれを使っていた。オレも一緒になってライターなんか描いた。いつだったけな?4回生の初めごろか。少し気分も良くなっていたのでCD屋にも寄り、ショパンのバラードとモーツァルトのピアノ協奏曲のCDを買う。
 一旦家に戻ってスーツを脱ぐ。身軽になってから役所へ向かう。帰りがけに何処かへ寄っていくことも考えて、かばんにスケッチブックとメモ帳を入れておく。ヨーカ堂を通り過ぎ、久しぶりに歩く道を確かめながら、のんびりした気分で大岡川を渡る。相変わらず大きなコイが泳いでいた。役所で年金と健保の切り替え手続きをしようと思っていたのだけれど、離職票などの身分証明できるものが無いと言って門前払いを食う。とぼとぼとヨーカ堂へ戻ってシャンプーの詰め替えパックを買ってから、デニーズでBLTサンドとコーヒーを頼み、日記の書き残しを書く。若いバイトの女の子が二人。一人はメガネを掛けた今時珍しいど真面目な感じの娘。マニュアルどおりの対応を堅苦しく押し付けてくる。何が変なのだろう?抑揚のないこと?感情がコトバについていかない。どこかで…。そう、M岡なんかと同じ路線かな。もう一人の「普通」の可愛らしい娘の方にオーダーする。隣の席に耳の遠い爺さんが一人で座る。一生懸命「カフィ」を頼む。ブレンドかアメリカンかと問われてもただ「カフィ」と言い続けて。じゃあブレンドで、と真面目娘は耐えかねて決め付ける。すると再び店員を呼び、今度は 「パンケーキ」 が欲しいという。再度真面目娘が 「ホットケーキしか置いていない」 と答える。それにはアイスクリームが乗っていることを伝えつつ。またもや爺さん、理解しかねるというようにしながらブツブツ言うが、真面目娘はホットケーキのオーダーをきっちり取る。結果的に爺さんは 「こんなに美味いもん初めて食った」 と言いながら鼻歌交じりで過ごす。キャスターを喫いながら。僕の方はとりあえず日記を書き終えて、僅かに残ったコーヒーを啜ってから帰宅する。ちょっとすると母が買い物から帰って来て、「私はいつも重い荷物を持ってあの坂を上がってくるのに」 と愚痴ともなんとも取れぬ口調で言われる。ヨーカ堂に居たんだから電話してくれれば良かったのに、と意味もないことを答える。オレは怠け者。その時は日記を書いて頭を整理した直後だったおかげで気分も良かったし、軽く流したけれど。
 スケッチをしてみる。まずはジッポーを描き、それから買ってきたデッサン用の鉛筆、腕時計など。描き始めると最初は何ともいえぬ抵抗感がある。全然うまく行かない。何でこんなことやってるんだろう?観念的でありすぎる故に必要なトレーニング。まず頭のなかの 「イデア」 を描いてしまう、つまり鉛筆なら六角形をモノも見ずに描いてしまう。意味も無く焦り、さっさと済ましてしまおうとする自分が剥き出しになる。情けない。再びモノの世界に向かう。それには時が必要。そう、ゆっくりと、細部を丁寧に拾ってくること。描きながら、鉛筆一本で色を表現することの難しさに戸惑う。反射する光の表現。キラキラ光るはずのジッポが重く、暗く沈む。光は真っ白。そこは描くのではなく 「残す」 。それがなかなか難しい。鉛筆を描きながら、白い文字を写しているうちに、全体の形のとりかたがおかしいことに気づき、長さを延ばす。結果的にはそれが良い具合になる。光と影。連続的に変化していく色。パッと突然切り替わるような、反射光を放つ部分は結局うまく表現できない。それでも気分がだんだん良くなってきて、時計を描くころにはある種の慣れが忍びこんでくる。既に自分のスタイルができてくる。案外素早く完成させる。でも本当にモノをちゃんと見たかといえば、それはかなり怪しいものだ。
 充実感とともに眠りにつく。


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2003/3/14 燕京号甲板にて


 日向ぼっこ。存外速いスピードで進む船の甲板に吹く風は冷たいけれど、春の光に暖められた鉄板に尻を触れていると気持ちがよい。同室の二人とはひととおり話をした。一人は78 の爺さん。戦中派の大阪商人。さっき3人で話していた際に垣間見せた「オXXコ」自慢をする様子を見てげんなりさせられる。坂東真砂子の「曼荼羅道」を思い出す。下卑てる。ぱっと話す分には明るい元気な爺さんだけど、一皮剥けばそのあまりの下らなさに辟易する。もう一人は吉林省生まれで17才までそこで育ったという若者。年の頃は24〜5くらいか。日本語が少したどたどしく、最初中国人かと思ったけれど、事情を聞いて納得。神戸に住んでいるということ。昨日、S木さんと話をしたときの、「神戸はずいぶん酷い街になった」 という言葉が頭をよぎる。帰国後ずいぶん苦労したのだろう。彼のなかから暗さが滲み出てくる。若いし根は良さそうな感じ。彼と話すのは爺さんよりずっと楽しそう。
 中国語に囲まれ始める。まだまだ序の口。サービスの女性達は全員中国人。上手な日本語を話す人も居るけれど、それに甘えざるを得ない自分を少しばかり苦々しく思う。予想されたこととはいえ。臆しても仕方がない。ニコニコと、でも卑屈ではなく、堂々としていよう。ゴーマンになることはないだろうけど、そう取られる可能性は充分ある。笑って目を見る。

 昨日は姫路のS木さんとかなり幅広い話題について話すことが出来た。その博識にはあらためて驚かされる。どんな話題でも真っ当な答えがとても正確な形で返ってくる。記憶しておくべきことを思い返してみる。

− 今のS木さんの思想はスラヴォイ・ジジェクにとても近くなっているとのこと。一度ちゃんと読んでおこう。
− 史的イエス像に関すること。聖書のなかのイエスの言葉のほとんどは彼の死後、相当な数の物語作家達によって手掛けられたと言われる。時代はギリシア悲劇のような、物語文化の成熟した後。そういうことがあってまるで不思議はない。だが、自分のなかで以前に比べてキリスト教への共感が強まっているため、少なからず抵抗感を覚える。
− 上記に関してヘレニズム期の東西交流の活発さを再認識させられた。人という種族がアフリカからアジア、ロシアを抜け、アメリカ・南米へ達したという事実。広大な太平洋を船で渡ったという事実。いつだって人はダイナミックに動き回ってきた。殊によるとキリスト教の成立、死海教団の成立に仏教が深く関係していた可能性がある、という指摘は印象深い。
− 「和算」の存在について。高度な数学体系が江戸期を通じて形作られていたということ。宮本武蔵研究に絡めてHPに資料を掲載してある。(HPを作る姿勢にも吃驚させられる。)
− ここ十年、二十年の間の神戸の凋落ぶりについて。成金の人ばかり集まってしまったという。欲望病というような症状を呈していると。小学生殺害事件の必然性について。震災後の更なる没落。あそこに住むのは考え直した方がいい、と。
− 今後のアドバイスとして、田舎で塾でも開いたらどうかというススメ。確かにそれはありだ。少し真面目に考えてみる。
− 「気」 について。麻原彰晃の持つパワーのこと。キリストと彼を同列に置くことに、感情的に反発しそうになる。でもまあ、そうかもしれぬ。
− Dくんとその一つ年長の友人のMくん、それに静かな子がもう一人。皆を交えて語る。夢を持つ?親から離れることの重要性。
− いとこの子が今度一橋を卒業するのだが、随分と中国に入れ込んでいて、各地を放浪して現地の人と問題なくコミュニケーションがとれるくらいしっかり根を下ろしていたとのこと。興味があれば紹介するとのこと。
− 讃岐ウドンを食う。「かまたま」は美味。

船は穏やかな瀬戸内をゆく。ポツポツと小島が通り過ぎていく。ボンボンボンとエンジンの脈動が響いてくる。3年半前、愛媛で見た海。そう、まさにその海だ。悪くない。


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2003/3/15 世界把握の試み


生命の位置付け。

 認識論、記号論を通じて世界把握なることを定義する、あるいはその意味と必要性について論を展開させることが論理的に自然かもしれぬ。ただ、今はそれは後回しにし、ポッと浮かんでくる素朴なスタート地点、すなわち生きていることとは何か、生命とは何かを科学的な方法論・アプローチを通じて書いてみることにしよう。「生命」というテーマを冒頭に持ってくること自体、「科学臭い」感じがしてしまうのだけども。。。

 生命と非生命の区分、それは半ば自明のようでありながら、なかなかに難しいテーマである。人間という複雑極まりないシステムを対象としていても、形而上学的な解答へ飛んで行ってしまう以外、明確なものをすぐに得られるとは思い難い。それ故このテーマは最も原始的な生物と、そうでないものとを比較検討することに私を導く。(ダーウィンの力を借りることになると思われるが、それはまた後で展開しよう。)一般的な「生物」のイメージとは一体何から構成されているのだろう?それはある種の有機体で、自己複製が可能なもの。個体の保存のために外部のエネルギーを取り込み、それを「消費」することを続けるもの。
 「システム」 という言葉は生命と密接に関わっているように思われる。その起源については現代の多くの科学者が取り組んでいるから、またいずれその知識を流用することができるだろうが、偶然かあるいはもっと大きな者の意志によるものか、出来上がったその有機物によって構成されたシステムは、自己を維持あるいは「発展」させることをその営みとしている。「利己的な遺伝子」というショッキングな書物によって私達に与えられたのは、人間など所詮は遺伝子という、自己を維持・発展させ続ける「意志」のようなものを持った存在の乗り物に過ぎない、ということであった。「〜に過ぎない」などという言い方は、もっと何かを期待していたのにそれが裏切られたということを表しているが、それはつまり人の持つ自我、精神といったものが、自らの身体、あるいは存在そのものさえコントロールしていないのだ、ということの発見だからではないか。デカルト以降の精神あるいは理性の絶対化の傾向は、現代においては既に随分と糾弾されてはいる。それでもそうした西洋的な観念に浸透された私達の文化土壌はやはりそこに無自覚な抵抗感情を催させるのだろう。遺伝子などという、どちらかと言えば相当に「科学臭い」言葉を持ち出してくると、無意識、イドというコントロール不能領域が存在するという証明に動揺しなかった人間でも、多くは揺さぶりを掛けられたに違いない。しかも意識と無意識は、仮に無意識が意識を圧倒的に凌駕する支配域を持っているとしても、一応は対等な、拮抗する二つの勢力として捉えられていたのに対して、「遺伝子の乗り物である」という主張は私達の存在に対して奴隷状態への転落という「事実」を突きつけてくる。これが真に「事実」であるかは大きな疑問符付きではあるけれど、このイデオロギーは人を一旦巨大なものを前にした無力感と絶望感に叩き込む悪意と共に語られているように思える。言っている本人もそれを信じているのだろうけれど、人に絶望を強いることによって得られる「力の感覚」は、彼に甘い陶酔を与えたに相違ない。私達は自己保存と自己発展のみを目的とする遺伝子によって「完全に」支配されているというアイディアは、資本主義的無意識傾向を励ます。他者、人も環境も、そういった外部は遠く彼方に押しやられ、資本の増殖とピタリとマッチする遺伝子の運動に身を任せればよいと、科学という巨大な権威によって与えられた護符は暗に語る。
 さて、この遺伝子の運動、どうも「意志」に見えて仕方のないその運動をもう少し切開してみよう。奴隷状態かどうかは別におくとして。この運動そのものは、私達を含めた全ての生物の基本的なパターンではありそうだ。現象論的には、生物とは世界の増大するエントロピーの流れに逆らい、局所的なエントロピー低減を可能にしているシステムである。しかもそれは持続的な運動として存在する。個体としてエントロピー低減が難しくなったものは再び非生命と化す。しかし遺伝子の運動が示唆するように、あるいはアメーバなどを見る限り、生物は個体という乗り物をエントロピーの汚染の度合いに従って乗り換えていく。ここで段々と混乱してくるのは、生物というものの「主体」は何処にあるか、ということである。アメーバを見る限り個体というものを捉えることにどれほど意味があるのか分からない。彼らは単に分裂を繰り返す。意志という言葉をどのように定義すべきかは難しいところだが、私の見る限り彼等は維持し、増殖する意志を持っているように見える。(そんなことはない、あれは自然にそういう仕組みになっているのであり、あるいは本能にインプットされているのであり、などという言説は実際のところ思考の放棄であるとしか思えない。自ら想像できぬ、ゆえにアンタッチャブルだ、というのは政治的な意味は有りえても、知性とはかけ離れたものだと思う。)

…未完


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2003/3/18 天津科技大外国人寮にて


 天津には3/16に到着した。港での簡単な入国手続を終えて外に出ると妹が迎えに来てくれていた。驚かされたのはバンクーバーの友人のFさんの弟さんがわざわざ車まで出して一緒に迎えに来てくれたことだった。Fさんと運転手のWさん、それに妹とオレ。午後一杯かけて天津案内をしてもらい、夕食を御馳走になった。兄の知人というだけでここまでお世話になってしまい、心苦しい気もしたけれど、とても有難かった。中国語は全く分からないままなので、気持も終始引き気味になってしまう。少しずつでも言葉を覚えようとするけれど、ほとんどザル状態。入ったと思っても少しすれば全部忘れてしまう。宿泊することになった天津科技大の外国人寮のなかでまったりとした時間を過ごす。言葉が分からない時にどんどん内向してしまう性格は如何ともし難い。外に出て出会う人とコミュニケーションをとってみたいと思うのだけど、恐れの方が先に立つ。別に取って食われることもなかろうに。それは見栄からくるのかな?
 今朝からひどく腹の具合が悪い。何が当たったのかはちょっと見当がつかないけれど、多分昨夜の卵とトマトの炒め物じゃないか。それかミネラルウォーターか。力が入らず、さらに部屋に篭る理由をつくってしまう。到着してから二晩、眠る時間は充分すぎるほど。オマケに昼過ぎには確実に昼寝をとる。一日12時間近く寝て、体がすっかりなまってしまう。体を少し動かそう。
 テレビを見る。NEC製のもの。番組はパッと見る限り既に日本のものとあまり変わらぬ感じがする。午前中には道に迷いながらも、一時間半ほどそこら辺を散歩してきたのだけど、乾燥して砂が舞い、あちこちにゴミが撒き散らされた、何とも荒涼とした風景を見た。夏が近づいて緑が木を飾れば、少しは呼吸の出来る空間になるのかもしれないが、今は枯木ばかり。交通ルールも何もなく、道を通り過ぎていく自動車と自転車。クラクションがいつも鳴り響く。そうした足で稼いだ情報と、テレビのなかの世界とは随分遠いところにあるよう。まぁそんなものか。
 日曜は天津古文化街をFさんに案内してもらったのだが、美術品店で馬の掛け軸を一幅買った。元値は280元。店の姐さんは理知的な綺麗な人だったが、交渉の時にはなかなか手強い。何度も帰りかけて100元なら、と言い続けるFさんと妹を見ながらオロオロしていると、最後には130元というところで手を打つことになった。こうした駆け引きは予想していなかっただけに、強烈なバトルのように思えたが、後で聞くとこんなのは当たり前、女の人だし相当に柔らかいものだったという。オロオロしていたオレのせいで値段が下げにくかったとも言われた。。。その後の夕食は「狗不理」という饅頭の美味い店で食わせてもらった。Fさんのお宅にもちょっとお邪魔させてもらった。外見は古めいたマンションだったけれど、中はさっぱりと整った住み良そうな感じだったのが印象的だった。


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2003/3/24 燕京号にて


 天津、北京でのさほど長くない滞在を通じて、オレは何を見、何を思ったろうか?これからオレが生きていく道を探すための、道標めいたものを見つけたろうか?自らの血肉になるような何かを。分からない、今は。ただ、目は開けていたと思う。とにかく妹にずっとおんぶだっこになってしまったから、自分から積極的にぶつかっていくことはほとんどなかったが。天津で一人、ほこりにまみれて歩き回り、また尻が痛くなるまで自転車を乗り回しながら、遠巻きに見た風景。やがてそれは意識の領域からは逃れていき、断片的な、切り取られたイメージだけがわずかに残ることになるのだろう。いつものように。瞑想の時に浮かぶような、何故それがそういう形で保存されるのかよく分からぬ、一瞬を固めた映像。全ては走り去っていく。しがみついても仕方ないのかもしれぬ。それでも自分の中に刻まれる映像、音、匂い、空気(温度や湿度?)、その断片的な記憶は自らの覚醒の瞬間に形作られたに違いなく、それ故この記憶が豊かであるほど、自分が流れていく時間のなかでしっかりと踏ん張って生きている、ということにならないだろうか?瞬間、瞬間を充分に生き切ること、それだけがオレが真に求めるもの。だのにオレが本当に目覚めている時間とはいかに短いものか。覚醒の時を少しでも増やしていく知恵、それこそが本当の知であり、倫理である。堂々と笑いながら、いつも外に開いていたい。何者を失うことも恐れずに。自らの中に在る全き自分から、何と遠いところにあるのだろう。それに近づくため、そう、そのためにオレは旅をしているのではないか?言葉が全く分からず、自分の意志を何も伝えることが出来ず、そうして裸になったのは久々だった。そこから学ぶ知恵はなかったか?頭だけではなく、自分の存在全体を賭けて生きる感覚を身につける必要性を感じなかったか?北京站で見た、満面に笑みを浮かべた男たちの圧倒的なパワーに感化されなかったか?そこには古からの人間の知恵がなかったか?資本主義化が進む中で、彼等の笑顔はやがて失われていくのだろうか?北京の胡同を一人彷徨いながら、練炭売りの男、卵売りの女、路地に遊ぶ子供たちに、王府井のすっかり近代化されたショッピングモールからほんの僅かのところに隠された、大きな秘密を見なかったか?それはただのロマンチックな戯言か?分からない。分からないけれど、きっと何かをもらったと思う。それは妹を天津に向かわせた何かなのだろう。あるいは中国に惹かれて天津にやってきていた他の日本人にもそれは伝播しているのかもしれない。K住さんのような人もまた、中国人のしたたかさとともに、ある種の真っ直ぐさを見て、自分を支えているのではないか?

。。。

 船内のお気に入りの場所でノートを広げていたら、団体で研修に向かう人達にいつの間にか取り囲まれてしまった。昔合唱団に居たNみたいな顔をしたネアカな青年と筆談(とさえ言えないおそまつなコミュニケーション)をしていたら、あっという間に20人からの人間がどこからともなく湧いてきた。皆日本語を少し勉強したとあって、オレの中国語の酷さは構わずに、色々と基本的な質問を投げてきた。名前は?何処行くの?中国はどうだった?等など。積極的に話をしてくる人は限られていたけれど、これは日本語勉強量の差からくるのか。日本人は親切か、という問いには少し戸惑ってしまった。若い人はどちらかと言えば不親切だ、というように答える。少なくとも今のオレの目には中国人のほうがだいぶ友好的に映る。自己の殻の中に閉じこもり、狭い世界に入り込んでしまう傾向、資本主義的な無意識の肥大、それは確かに日本を侵食していると思う。というより先進国全般を。それは自らを振り返り、自らの中に見出す傾向なのだが、それを「日本人」として語る事は拡大のしすぎだろうか?
 頭痛がする。風邪が治らないままだ。最近身体の弱化が目立つ。少しでも体を動かして硬化を防ごうと思いながら、また心の中に篭ってしまうため、結局何もせぬままになる。それ故また、覚醒のときも短くなっていく。きちんと寝たほうが良いか?いや、むしろ旅行中も寝すぎるくらいだった。煙草を減らせということ。
 帰国後のイメージ。文章書きを4〜5時間。語学勉強。運動。絵を描く。ギターを弾く。毎日規則正しい生活を送る〜完全に固める必要はないけれどせめて最低限のノルマをこなすこと。あぁ、いつも計画は建てる、でもきちんと実行出来たことは?そんなことを言っても仕方ないか。。。繰り返せ。楽しくなるまで。
 頭痛が酷い。


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2003/5/15 ブリュッセルにて


(前日に南駅で盗難に遭い、旅券・航空券・鉄道パス・カメラ・日記・ガイドブックなどなどを失う。
ボンヤリとしながらホテルの窓から向かいの建物をスケッチした後に。)

世界は遠い、遠いよ。
オレは何も見ていない。
ただふらふら、ふらふらと
浮かび、揺れ、
消えていきそう。
何もできないよ。

。。。

丁寧に、ただ丁寧にと、口ばかりじゃあないか、全く。
世界は何処にある?何処に?
声、声、声、意味の分からぬ音の連なりが辺りを覆う
ひとりぼっち、無力のまま、情けないまま。
あっちへ、そうあっちへ行けば、こんなに無力であることを
知ることなく、認めることなく、泳いでいけるものなのかしら?
世界を敵にして、バネにして、隙間を見つけて。
整理して、単純化して、馬鹿げたことを馬鹿げたこととせず。
人はアガペなしに生きうるものか?ナイーブなナイーブなバカ。
転げ落ちて、そこらでめそめそ泣いているがよいさ。

。。。

文化

剥がれ落ちていくモルタルの残余物が
レンブラントの塗りたくった白い絵具のように見えること。
ひび割れた壁。割られた窓ガラス。汚れたカーテン。
崩れ落ちかけた瓦。路にぶちまけられたゴミ。
そこにきっちりと縦列駐車された車。ぼんやり外を眺める男。
暮れ行く陽はなかなかしぶとく粘る。
闘ってはまたズルズルと負けていく。自然と?死と?
醜い廃墟にしがみ付きながら、ガツガツと生を生きる。
そこに希望なんかありはしない。溶け出す大理石。
青くシミを残す銅のよだれ。
重く澱んだ空間を少しでも浄化しようとするかのように、
雨は降っては止み、止んでは降る。空が美しい。
小路のトンネルに差し込む光は柔らかい。
畜生のように金を追い、マーケットサマリーを見る人間と、
周到に練られた計画のもと、旅行者を襲う追いはぎとは同類。
虚ろな目をしたままメトロの出口に座り込み、
だまって空き缶を差し出し続ける汚げな老人は?
蓄えられた余剰のもと、美術鑑賞などしながら、
幸せとは何か、などと問うている肥えた豚は?
地道に日常を設計し、諸々のことを我慢し続けるうちに、
奴隷の習慣が板についてくる小心者の群れは?
訳の分からぬ抽象的な形に無理矢理意味を与え、
それがアートさと嘯く人達は?
分からない。文化?押し潰され、腐敗していく中で、
何者かが見出されるか?
強迫症的にきっちりと日常を守り続ける先に、
柔らかな死は待っているか?
暗くなった。ようやく。
眠ろう。


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2003/5/30 À Paris


 朝食をとって9時半頃にホテルを出る。Pyramides でメトロを降りてインターネットカフェに寄る。開店前で30分程時間が浮く。とりあえずOpéra まで行って座り込む。煙草を吸う。グルッと周囲を見回してからカフェ・テレマシオンへ。メールをチェックし、YHの予約をする。OさんとKにメールを書く。月曜に出したメールへのレスが何通か。皆羨ましいという。偉いと褒める。帰ってきたら会おうという。オレを求める。何故?カタルシスが欲しい?道を示して欲しい?孤独の忍び込む場所を少しでも埋めておくため?オレは人に支えられている。確かにそうだ。まだ依存している。この依存からは抜けられないのかもしれない。人がオレを求めるように計算しつくされた言葉を伝え、願ったとおりの依存と寄りかかりを受けとる。そこに胡坐をかいている限り、オレは沈没し続ける。そう。何人もの人間を安全帯として準備して、それでどうするの?不安をゴマカシ、安逸を求めるため?足りない。孤独が足りない。オレにはそれが必要。自分のなかの甘えの感覚が弱まるまで。神、「全」というときに、そこに逃げと甘えが紛れ込み、やがて支配されてしまうことを避けるため。神とともに在るためには、人は人に寄りかかってはならない。人に自分の人生の救いを求めてはならない。自由、それは自ら定めた規律に従うことにある。それはすなわち、神の声に従うことと同値。完全に束縛されること。人にではなく神に。倫理、それはすなわち自由。
 インターネットカフェで何人かの日本人の女の子を見かける。パリに来ている日本人は誇り高く、綺麗な娘が多い気がする。少なくともバンクーバーよりも。多分ね。パリで残された最後の平日だったので、美術館も少しは空いていようと思っていたけれど見当違い。Orsey へ辿り着くと長蛇の列。うんざりする。暑い。汗をダラダラかきながら、セーヌを渡って戻り、結局ルーブルに入ることにする。恐ろしい数の人、人、人。群集。人込みは本当に嫌だ。エネルギーの消費がすさまじい。嫌だ。叫びたくなる。一人の観光客、「地球の歩き方」とカメラを持った立派な日本人旅行客の一人でありながら、そこに嫌悪感を感じる。いいじゃないか。汚物に塗れて生きよ。それも人生。
 イタリア絵画のコーナーはとくに人がすごかった。モナリザのため。まともに絵を観ようとしていても、濁流はオレを押し流そうとしてくる。そんなに短い時間で、一体何が分かるというのか?何百年も前に呼吸し、苦しみ、喜び、祈り、見栄を張ったり、誇りを持ったりしながら、一つ一つの作品に向かった魂。作品はただの排泄物なのかしら?そうかもしれぬ。糞塗れの、悪臭紛々たる、人類の文化の砦を嬉々として進む生きた排泄物たち。彼らは何も見やしない、感じやしない。ただ食い、眠り、性交し、情に流れることを楽しみ、酔っ払い続け、糞をして、人を仲間に引きずり込むことを楽しみ、死ぬことを忘れ続ける。オレは?まさにその一部に相違ないじゃないか?ダヴィンチの洗礼のヨハネの闇のなかに浮かび上がる姿にすがってみる。何かがあったような気がして、ついこの間も時間を過ごした4階へ。コロー、ドラクロワ、アングル、ルブランを見に。人が減り、少し気分が落ち着く。ル・ナン兄弟を見たくなってまっしぐらにそこへ行く。良い。ただ火曜日に見たときほどの熱は戻ってこなかった。何かにすがるようにただじっとその前に立つ。農家の夕飯時のワイングラスを片手にした男たちの後ろで、じっとこちらを見つめる子供の眼がオレを捉える。
 疲労を感じて一旦美術館を出たのは15:30頃か。一時間ほどルーブル宮の庭で夏の日差しを浴びながら停止する。それから払った金の元をとるため、というように、装飾品コーナー、エジプト史コーナー、彫刻コーナーなどをざっと廻る。美術館で静かに屈辱に耐える品物たちの本来の姿を想像しようとするが、オレにはtoo much か。膨大な Background の理解が必要だから。文化の継承、それは何だ?0.01%の程度の確率で、それを理解し、自らの血肉としうる人間が来るのを待ち、彼らは耐えるのか?品物たち。良く分からぬ。ナンセンスが溢れかえる。陶器やグラスを眺め、そのヨーロッパ的な、過剰なくそ細かな装飾を見るとき、オレはそこからとてつもなく遠くにいることを感じる。日本人だから?そう、確かにオレはシンプルな青磁の方が美しいという感覚を持っている。"Fountainhead" のHowardを想う。
 晩飯について、しばらくふらふらしながら悩む。仏語が喋れないということが、自分にとって重圧となっていることを歯がゆく思いながら、そこから出られない。バカらしい。結局観光客の沢山通るところにある Brassery に入る。あやうくまた生肉(Steak Tartar)を頼んでしまうところだったが、ボーイが説明してくれたので助かった。日本人客が多い。新婚旅行らしきカップル。ステーキとポテトを食い終るとさっさとホテルへ退散。
 "Fountainhead"に没頭する。かなり刺激を受ける。個と全、高らかに個を謳う Ayn Rand。正しい。だけど完全じゃあない。何故か?父のことをふと考える。Howard Roark に最も近い人間。近すぎる。そうして正しい。オレは一体何者だ?オレは何処に居る?散々考えて眠れないほどに興奮する。心を鎮めるために瞑想。そのまま眠る。


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2003/6/8 Schumacher Collegeにて


 朝、本当は昨晩のうちにしようと思っていた洗濯をし、Short Course にやってくる人たちのために部屋を明け渡さなくてはならなかったので、ベッドメイクと掃除をする。それが終わるとDartingtonの中心まで歩いていく。陽が差したり翳ったり。太陽が見えているときはとても気分が良い。町へ行く前に、日曜のミサを告げる鐘が鳴り響く教会をしばし眺める。緑の中にすっくと立ち上がる、古い石造りの塔。途中、ミサに向かう人に笑いかける。Dartingtonでは御土産センターをひととおり廻る。陶器、ガラス製品、籐細工、有機食材、調理器具などなど。ぼんやり眺めながら遠くからイングランドの生活を味わっている気分になる。さらにふらふら歩いていくとガソリンスタンドを見つけたので煙草とコーラとキットカットを買う。Schumacherの節制に真っ向から歯向かうようで可笑くなる。一人反論の理屈を考えてほくそ笑む。
 昼前に学校に戻るとOさんがそばを作るという。それを手伝い、Kちゃんを交えて3人で温かいそばと磯辺餅を食べる。薄味は良いが、少し口寂しい気がしないでもない。午後は森を散歩。雨が降ったり止んだりであまり散歩日和とは言い難いが、時折差す陽の有り難味は増す。ほとんどの時間、OさんとKちゃんが二人で話しながらゆっくりと歩いていて、オレの方はただぼんやりと木を眺めながら先を進んでいた。途中立ち寄った河原がとても良かった。天気もしばし回復し、水面に差す光が美しい。川の流れる音、風に揺れる木の葉の音を聴きながら、じっと水面を観察する。光が踊る。水は流れる。上流側の流れのゆるやかなところでは水面は鏡面のように静かに光を返す。オレの座っていたところで川は浅くなり、光は乱舞する。旅行中に立ち寄った美術館で見てきた白の絵具のことを想う。これをどう表現するか?世界に溶け出していく自分。オレは?何?透明になっていくオレに不安を覚えたのか、Oさんが会話を求める。3人で再び独り言と対話の違いについて英語で話す。Kちゃんは石を拾っていく。それも悪くない。30分〜1時間ほどかけて再び泥濘の道を行く。
 カフェに寄り道。アールグレイのミルクティとクッキーを一枚。正統的な午後の紅茶。悪くない。Kちゃんは一人ワインを飲んでいた。韓国の徴兵制について少し話す。二年強の奉仕義務。離れ離れになる恋人について。等。学校へ戻る途中の開けたところで見た牧草地の眺めがとても気に入る。風に揺れる麦の穂。写真を撮る。
 Short Courseを取る人たちが沢山来ている。でも思ったよりも人込みという感じはない。空間はたっぷりある。二階に逃げていってOさんとKちゃん、J を加えた4人で食事をとる。スピナッチパイとポテトとサラダ。美味い。J がGlobalization への進展が結果的に人に幸福を与える、というような重いテーゼを投げてくる。少し反応しようとしたが、結局うやむやに流す。
 外に出て煙草をふかし、しばし学校の周りを歩いて夜気を吸い込む。


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2003/6/13 London, St.Pancras YHにて


 ロンドンでの最終日。快晴。夏の日差し。国立博物館でレンブラント以降の絵をざっと観て、ビッグベンそばの公園で軽い昼食を取ってからしばらく肌を太陽に晒す。ロンドンの写真を撮り直そうかとも思ったが、なんとなく気が乗らず、自然博物館へ向かう。恐竜の展示と人の発達過程のコーナーを廻った後、ダーウィンの進化論コーナーへ行く。そう、ダーウィンはイギリス人だったんだよな。以前 I と話していたときに出た、「種無し」のことなんかをふと思い出す。選択的進化過程。個は可能な限り子孫を残そう、増殖しようとするが、「競争原理」によって淘汰されていく。生態系という、ある種の定常状態に達した系を見る限り、生物の驚くべき調和が感じられるが、それはあくまで結果?複雑系の概念を絡めて考える必要がある?ガイア。高度に安定した系。個は足掻く。細胞は?オレの体を構成している細胞たちは?資本主義は病理か?それとも正常な個の運動か?人が社会に埋もれていく時、それはおかしいのか?
 個と全。リフレイン。どちらも完全に正しく感じる。そうして本来矛盾しないはず。個を生ききるとき、全は活性化される?共同体−アメーバの共生集合態。「顔なし」に吸収されること→生物学に例はあるか?それは滅びの道に見える。何故?植物は顔なし?個が個の機能を果たさない→癌?生とは?
 皮肉。資本主義が個の無意識によって支えられているとすれば、歪に肥大した個が個を食い荒らし、全を破壊へと導く?まさに癌か?全的な個、完全な個とは?これからオレがとろうとしている道、すなわち自分の中に蓄えられた思考を繋ぎあわせ、一つの体系にしようとすることは、果たして正常な個、完全な個と言えるか?多分。どうもそういう気はするが。。。女、SEXについては?求めるものを掴め。力への意志。階級は厳然と存在する。生きるものと滅びるもの。生を選べ。この種が滅びるときはオレも滅ぶ。それ故生の方向を模索する?政治的なのか?はは、それは結果だ。人に構うな。人を恐れるな。個は既に完全。既に全の求めるところを知っている。確信せよ。
 金。追っても仕方ないと分かっても追う?将来への不安、生存への不安。不安は消えぬ?死を恐れず、神と共に進め。神とは?
 全ては無に帰る。それ故全ては無意味?いや、どうやらそこには飛躍がある。人は死ぬ。故に何をやっても意味がない?じゃあ死ねよ。いや死ぬ必要も別にないのか。ただ受動的に来るものを受け止め続ければ良い?そこに言い訳はないか?しみったれたニヒリズム。無力を感じ、受動に身を投げること、それは自殺。生の価値は失われる。生の価値???生きていることに喜びはないか?幸せは?力への意志、それを失った時、生は果てる?「つくる」こと。思い通りにすること。
 主体。考える主体、感じる主体。情念−それは主体を揺らすもの。そのバイブレーションが生の感覚?生きながら死ぬことはできない。生きながら死ぬ者たち、彼らは生のエネルギーをコントロールすることができない。それは存在するのに。封鎖された領域を避け、それは奇妙なところから顔を出す。嫉妬のエネルギー、批判のエネルギーとして。否定をすることに力の感覚を感じ、生を感じる。不幸とはそこにあるもの。自らの道を失った者達。否定はある種の生の原動力となるか?うーん、これは違うと感じるとき、確かに「正しいもの」の位置が相対的にはっきりしてくる。光へ近づくためのプロセスか、あるいはそれ自体が目的となっているのか。意志があるかどうかか?否定によって繋がれる集団の醜悪さ。金への縋りつき、政治的力への依存。それらは生の否定?


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2003/7/3 先物詐欺


 京都から戻って4日になる。高揚し、前向きになっていた気持が少ししぼみ気味。頭痛の種は先物。もう早く抜けたいと思っていながら、無意識と感情を垂れ流してくる奴等に対しては、言葉によるコミュニケーションが不可能に思えるほどで、なかなかぶった切ることが出来ないままでいる。まさに泥沼。ただ4月ごろに最も気分が凹んでいたときに比べれば、オレの方も少しずつ強い態度をとれるようになってきている。勢いに呑まれるのでなく。損を切る心構えでいる限り、心理的には強い。少しでも損を減らそう、利益を出そうと算段しはじめると、彼らは一気にそこに喰らいついてくる。バカらしい。大学の教授連中と話をしたときもそうだったけど、コミュニケーションが成立しない相手とともに在るときほど辛いものはない。オレがどんなに一生懸命説明をしたところで、ハナから話を聞く気がない人間には何も伝わらぬ。向こうは向こうで同じように考えているのだろうけど。資本主義の無意識に食われた人、不安だけを原動力に生を生きる人に、一体何を語れるというのだろう?そんなことに無駄な時間を費やすよりも、もっと自分の総合バランスを保つこと、自己を表現することにエネルギーを向けるようにしなければ。どうやってあの気違い集団G社と手を切るか?簡単なこと。バサッと損を切って縁を切る。ただそれだけ。明らかなのはそれをやると彼らは逆切れをして、猛烈な攻撃と嫌がらせをしてくるということ。多分言葉によるネチネチした攻撃だけだとは思うけど、あるいは嫌がらせ電話を掛けてくるとかそういうのもありえなくはない。ちょうどホームページでG社の批判を書いていた人が経験したように。いかに人を不安に陥れるか、彼等の手口は醜悪かつ巧妙だ。オレが正論を吐けば吐くほど、彼等の無意識は増大し、結果的にオレは抑圧としてしか機能しないのだろう。その意味ではオレが彼等に対して不安を与えているのだから、まぁおあいこというか、こりゃバトルだな。負けるな、しっかりと自分を保て。金などどうにでもなるじゃないか。
 考えようによっては本当によい経験だよ、これは。精神修養ね。(そういえばNさんがそんなことを言っていたなぁ。)たるんだ気持が随分と引き締められつつあるように思う。授業料はちょっと高すぎる気もするけれど。金に喰われぬにはどう在ればよいか、今回のことで学ぶことは沢山あった。頭で、というのでなく、感情も何も含めた体験として。脅しに対して、不安を煽る(無意識的な)策略に対して、あるいは巧妙に心のスキを突く不意打ちに対して、自分を守らなければならぬ。いつもしゃんとしていなければならぬ。生活を正せ。運動をし、ギターを弾き、瞑想をし、考えたことを日記で表現する。倫理が今こそ必要だ。
 そんななかから初めて今後のことを冷静に考える余裕も出てくるというもの。京都へはいつ行こう?部屋は何処に?金策は?女性関係はどう捌く?研究のスタイルは?さあ、きちんと呼吸を整えて、一歩一歩進んで行こうじゃないか。オレはオレでなくては。

神よ、我を守りたまえ。共に在りたまえ。


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2003/ 8/ 2


 仕事を辞めて半年になる。半分程度の時間は旅行に費やし、あとは自宅に引き篭る日々。旅をしている間は気持も開放され、色々と前向きなことを考えるのだけれども、引き篭りの時間は怠惰と不安とにずっぽりと埋もれながら、着実に精神を蝕んでいく。何にせよ、こうした時間が生産的であったとは決して言えぬ。自分の傲慢さが打ち砕かれるという意味で、等身大の自分というものを嫌というほど見せつけられた時ではある。でもそれはもとから低いSelf Esteemをさらに低めるものではなかったか?不安が忍び寄ってくればゲームに逃げることで思考を空回りさせる。皿を洗ったり、瞑想をしたり、ジョッギングをすることで少しずつ蓄えた元気さをまた無為のなかで浪費してしまう。そうして心のどこかで人生などそんなものだ、全てはやがて滅し去り、何者も生き残ることはない、という虚無によって誤魔化そうとしている。全てが滅びることは事実だ。だけどそれを言い訳にして怠惰と甘えに走ること、すなわちニヒリズムをオレは嫌悪するのではなかったか?自分で自分を責め続ける事はなにも産まぬ。それは今、この瞬間を豊かにするものでは断じてない。それを頭で分かっていながら、しかも人に対して語りながら、ズルズルと闇に呑まれるだらしなさよ。一体オレの中に何があるのだろう?頭でこの方が良いとするものに、真っ向からぶつかり、妨害してくる何者かが存在している。それも間違いなくオレの一部なのだ。オレは自分の無意識を抑圧しすぎているのだろうか?きっとそうなのだろう。素直でないのは確かだ。気持に、感情に、正直であろう。表現しよう。一瞬の躊躇が全てを台無しにすることがある。せっかく気分が乗ってきたところで、わざわざ自虐的に怠惰を選んでしまう。行動力は生もの。いつでも旬のうちに動くこと。煙草を一本吸う間に、エネルギーはドレンされる。習慣を作ることの重要性、それを何度となく意識しながらも、結局忘れてしまうのだ。何故?オレは人に喜んでもらえないと何もできぬのか?
 生産ということの意味。その本質は自己を律するというところにあるのか?それとも何かを残そうとすることにあるのか?結果か、プロセスか?地球の生命よ、何故やがて滅ぶというのにそうして増殖し、進化し、残そうとするのか?オレはそれに学ばねばならぬ。何故創る?何故蓄える?それは生というものの本質なのか?死ぬと分かっている人間は、それでも目一杯生きる。世界に自分を刻み、残そうとしながら。日々を満足して生きていくためには、生は何かを創り出し、残していく方向に向けられないと結局落ち着かないのか?そうできているのか?何かを生産しているとき、人は満足できる。より完全なものを、となり過ぎてそれが苦しみとなることがあるけれど、オレは何も創り出していないとき、あるいはそう感じるときにこそ、心の底にどうしようもなく広がる無力感を感じる。それは文化によって規定された傾向なのか?それともさらに根源的な欲求なのか?子孫を残すこと、性的衝動との関係は?何故子供をつくろうとするか?何故金をためるか?何故人に認められようとするか?何故光合成するか?何故ものを創るか?何故力を求めるか?何故?何故?何故?
 そうした問いに結局答えは与えられないのかもしれない。それは神の意志とでも言うべきか。だけどオレにとっての行動原理が、オレを満ちたり、成し遂げた感覚の方へ押してくれるものを選ぶことだとすれば、オレが何を本当に求めているか、それが重要になる。どんな状況にあっても心底納得がいくように生きるとはどういうことか?何をすればよいか?神がともに在るような生き方とは何か?知恵を紡ぎ合わせること。いくつもの知恵を。倫理的であること。つまり自分の決めたことに従って、いつも確信犯として生きること。書こう。整理しよう。瞬間瞬間の元気のために。人に対して語るように、自分に対して語ろう。


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2003/ 8/ 7 下鴨H邸にて


 部屋探しに来た。京都に来るとリズムが変わる。コンスタントに人に会っている故の緊張感のためか?それとも実家にいるときに圧し掛かってくる無力感を脱することが出来るからか?何にしてもこれは良い。
 昨日は銀閣寺荘→下宿情報センター→学生住宅と廻ってあちこちの部屋を見学した。自分の中にワンルームマンションのようなこざっぱりとした「城」を求める気持が存外強く働いていることに驚かされる。スノッブ。まあ世の中的に言えばそういうことだろう。でも先物による損失が大きな重圧となって掛かってくる。後悔?いやそれはもう大したことではない。金勘定を必死でやって、先のことを計画する苦しさを味わっているということか。バカらしい。たかが月一万円程度の違いで何故こんなに悩む?でもそれは人間の生活の現実?合理的に行こう?我慢するとかじゃなくて、身の丈に合わせ、与えられた現状を受け容れながら生きていくしかないじゃない。それを自然にできるようになろうよ。実際に生活が始まれば体のリズムが出来るはず。良い所に住みたい→ブロックされる→感情の拗れ・妬み、そんなパターンに嵌るのはあまりにアホくさくないか?自分で選んだ道を歩め。与えられた条件で満ち足りながら健全に生きよ。情念に呑まれるな。
 気持がすっきりしてくると、こんなことを書くのもバカらしくなる。書くということは拘っているから?だってさ、冷静に考えた時、オレにとってキッチンがあること、冷房があること、バス・トイレがあること、ってどれだけ重要なわけ?オレはそんなことよりも観念的なものを大事にしてるのではないのだろうか?いいじゃん、それで別に。
 学生住宅のYさん。確かに一生懸命仕事をしてくれた。お礼に食事などいかが、というのも自然。さて、だからと言ってオレがあの娘に何ができる?惚れさせるのは良い、でも背負えぬものにはちょっかい出すな?まぁいいじゃないか、恋はしたほうがいい。いや、でもそれはそもそも恋なのか?冷たいハンターの眼ではないか?ゲームのように人の心を操作することは罪だろ?自分がシンドクならないならそれでいいのかもしれない?自分の行動の帰結を背負い続けよ。
 なんだか楽しくなってきた。新しい生活を始める。それは楽しいことだ。がんばってみようじゃないの。

。。。

ゼネラリストの悲哀

 アダム・スミスの「国富論」を読んでいる。彼はとても丁寧で緻密な論理を展開している。利潤が如何にして生まれるか、貨幣の起源、そして利潤の効用について等等、学び気づかされることは多い。三巻を読了したら改めてメモを取りながら整理しないと。途中ではあるが気になることとしては、彼が基本的に資本蓄積には肯定的なスタンスに立っていること。当たり前といえば当たり前なのかもしれぬ。しかしその運動に関する分析は深く、ビジネスの基本書としてもやはり読まれるべきものなのだろう。
 本題。都市と農村の不均衡な関係についてである。彼は農民が高度な知識と、どのような状況にも対応できる柔軟な思考、発想力を必要とする職だととらえ、工業における労働者との賃金格差が不当というスタンスを取っている。同業者組合やそれに類する都市本位の政策がこれを助長しているとする。しかし、彼はそこで楽観をみせて、都市での利潤率が飽和に向かって低下していけば、資本は農村にも投下され、やがて公平な方向へ向かうだろうという見方をしている。この辺りも「神の見えざる手」というイメージの元なのだろう。何となく毛沢東がこのことに目を向けて農本主義に向かったのも分かる気がする。(それにしても自分の知識の浅薄さと表現の稚拙さは酷いものだ。もう少し時間をかけてゆっくり丁寧にやることも必要だな。とりあえずメモを残す必要を感じて。。。)
 さて、ゼネラリストである。農民とは普通ゼネラリストだ。少なくとも企業に勤める人間よりも、予測のつかぬ、不安定さの下に置かれ、多くの知恵と経験を求められる。(今の日本の米農家でさえ?単純なイメージに落ちないように注意。) これに対し資本主義の運動は、人をゼネラリストであるよりも社会のパーツとしてのスペシャリストであることを要求してくる。何故ならその方が資本効率が良いから。社会の豊かさは分業によってその度合いを増すという。そのメカニズムについてアダム・スミスは書いている。(→要・整理) マルクスの労働の疎外とはまさにそのスペシャリスト化に対応しているはず。それをポジティブに捉えれば、I がよく言うような 「マニア」 礼賛に繋がるのかも知れぬ。ただオレは会社で働きながら感じたこと、それはリーダーにゼネラリストとしての素養のない場合に集団が陥る泥沼が存在するということだ。現代においてはゼネラリスト、あるいはリーダーに要求されるものはあまりに巨大ではあるが、社会のなかでそのパーツはどうしても必要だ。ゼネラリストというスペシャリストが求められている。だが、人類総スペシャリスト化が進む中で、ゼネラリストという部門はあまりに不当な評価を受けているのではないか?それはやがて社会を衰退させる。



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2003/8/28


風が吹き抜けた。
肩をそっと叩くように。

何故だろう
いつだってあんな風に焦り、苛立ち、逃げ、怠け、
そうして自分が何処にあるかさえ分からなくなる。
ふと目を覚ましてみれば
そこにはただ穏やかな世界が広がっているのに。
弱さゆえに自分の弱ささえ受け容れられず、
一歩、そう一歩踏み出しさえすればいいのに。
世界の大きさに絶望し、それを呪うよりも、
その恵みを手のひら一杯にうければいいのに。

求めるものは本当はいつだってそこにある。
欲張るのは心を閉ざすから。
自分を育んだものに忠実であれば良い。
外を見ないで内を見るんだ。
手元にあるそれを、そうそれを丁寧にやること。

風を心に入れる。


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